写真の大切さ
2015年 10月 10日
写真って何よりも記録だということをつくづく感じました。
今までも当然そう思っていたのですが、
今回の「吉朝庵」写真展を開催して特にそう思いました。
今回の展示はすべてモノクロなのですが、フイルムで撮影したもの、デジタルで撮影したもの、
ネガカラーを複写したものと様々です。
そのため仕上がりは色がぶりしているものや、複写のために画像が不鮮明なものもあります。
しかし、来場されるお客様はまずは「桂吉朝」が写っていることが大切で、
写真のクオリティは二の次です。
お客様の多くは、10年前に亡くなった桂吉朝の、熱心なファインの方たちと関係者。
中には涙ぐむ方もおられました。
この方たちにとって、クオリティよりも記録としての写真を求めておられます。
写真が波打っている、色かぶりしているそんなことより、
吉朝さんが写っていること。
つくづく思いました。
なによりも写っていること。記録としての写真がまず存在している。
その大切さを感じている写真展です。
そして、桂吉朝さんの大ファインに囲まれての、思い出話しにも囲まれた写真展です。
今までも当然そう思っていたのですが、
今回の「吉朝庵」写真展を開催して特にそう思いました。
今回の展示はすべてモノクロなのですが、フイルムで撮影したもの、デジタルで撮影したもの、
ネガカラーを複写したものと様々です。
そのため仕上がりは色がぶりしているものや、複写のために画像が不鮮明なものもあります。
しかし、来場されるお客様はまずは「桂吉朝」が写っていることが大切で、
写真のクオリティは二の次です。
お客様の多くは、10年前に亡くなった桂吉朝の、熱心なファインの方たちと関係者。
中には涙ぐむ方もおられました。
この方たちにとって、クオリティよりも記録としての写真を求めておられます。
写真が波打っている、色かぶりしているそんなことより、
吉朝さんが写っていること。
つくづく思いました。
なによりも写っていること。記録としての写真がまず存在している。
その大切さを感じている写真展です。
そして、桂吉朝さんの大ファインに囲まれての、思い出話しにも囲まれた写真展です。
by haruseikoku
| 2015-10-10 15:46